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雑記 Archive
私がLAMYを好きな理由
- 2010-02-01 (月)
- 雑記
このblogを読んでくださっている方には周知のことかと思いますが、私は文具の中でも特にLAMYの製品をこよなく愛しております。
で、先日ふと、自分がなぜLAMYを好きなのかという理由を考えていたのですね。
LAMYの製品は多くの実力のあるプロダクトデザイナーが設計しているので、いわゆる”デザイン文具”に分類されることが多いと思うのですが、一般的に言われるデザイン文具とはひと味違う。
私も、単に見た目のデザインが良いからLAMYを好んでいるわけではないのです。
考えていくと、私のデザインに対する、特にプロダクトデザインに対する考え方というのがLAMYへの愛(!)の根底にあることに気づきました。
私は、優れたデザインとは単に美しいだけのものではないと思っています。
機能が伴って初めて、本当に優れたデザインと呼べるのだと。
その、機能ありきのデザイン、という点で見ていくと、LAMYの真髄が見えてきます。
LAMYのペンは各部がその形でなければならない理由が必ず存在しているのです。
例えば、LAMY2000万年筆のインク窓。
これは筆記時には軸に溶け込んで、そこにインク窓があることがわからないようになっています。
筆記しているときにインク窓を覗くことはないので、これはとても合理的です。
あと有名なのは水性ローラーボールの傑作、SWIFTの収納されるクリップですね。
これは筆記時にクリップが邪魔にならないように、そして収納時(特にポケットに差す場合)にペン先の収納を忘れないようにする為です。
ペン先が出ているとクリップが使えないのでポケットに差すことができず、シャツにインクをつけてしまうことを回避できます。
油性ボール、NOTOの三角形の軸やオフセットされたノックボタン、軸のラインから微妙に飛び出したクリップなども機能を追究した果ての秀逸なデザインです。
LAMYのペンは、細かいところだけれど、必ず意味のあるデザインがされているのです。
LAMY製品の魅力というのは、F1カーや軍用品の魅力と同質のものなのではないか、と、個人的には思っています。
速く走るために設計されるF1。
確実に機能することだけを考えて設計される軍用品。
これらは”機能に追従するデザイン”という点で共通しています。
最近よく耳にする”デザイン~”に多い、形ありきのデザインではなく、機能に形状が追従するデザインがなされていることが、LAMYの本当の魅力ではないでしょうか。
同じドイツのモンブランは、最近どうもブランド化しすぎている嫌いがあります。
LAMYもここ最近でかなり有名になっていますが、これからも機能美を追究した製品を作り続けて欲しいと思います。
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追悼:J.D.Salinger
- 2010-01-31 (日)
- 雑記
孤高の作家が亡くなった。
91歳、老衰だそうだ。
“The cacher in the rye”の作者、J.D.Salingerは私の敬愛する作家の1人だ。
とはいえ、代表作である”The cacher in the rye”以外の作品を読んだのはここ最近のこと。
私にとっては”The cacher in the rye”の世界がSalingerの全てだった。
“The cacher in the rye”の主人公ホールデン・コールフィールドは、初めてその本に触れた当時高校を出たばかりだった私にはとても共感できる孤高のヒーローだった。
彼は大人の世界や大人そのものが内包する性質や、それを象徴する些細なことがらに違和感を覚え、”インチキ”だとして、弟や妹、そして街行く子供が持つ純粋さ(それはかつて彼自身や私が持っていて、いつの間にか薄れてしまったものだ)をどこまでも追い求め、守り、失うまいとする。
しかしその一方で、酒や煙草、セックスというそれこそ”インチキ”の最たるものである退廃に溺れ、自分をいとも簡単に見失うホールデンは、まさに自分自身だった。
人の世を厭うかのように、35年もの間、新作を発表せず静かに暮らしていたJ.D.Salinger。
彼は、ライ麦畑で子供達をつかまえることができたのだろうか。
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右手首に腱鞘炎?
- 2009-10-17 (土)
- 雑記
どうも、右の手首が腱鞘炎を起こしてる模様。
数日前から違和感はあったのですが、今日夕方頃から本格的に痛み出しました。
とりあえずアイシングとテーピングで様子見です。
テーピングは非伸縮の、固定用使いました。
それでも最初は、ちょっとした遊びのぶん動いちゃうんですよね。
そんな些細な動きでもかなり痛いので、ちょっともったいないですがロールの1/4くらいの量を使って ガチガチに固定しました。
それでようやく、文字を書いたりキーボードを打っても激痛は走らなくなった。
週末は固定&冷却で乗り切って、週明けにでも整形外科行ってみようと思います。
手首が固定されると本が持ちづらいです。
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キーボード掃除用スライム”サイバークリーン”
- 2009-07-18 (土)
- 雑記
キーボードの掃除用アイテムとして最近出てきたのがこちら。
スイス生まれのサイバークリーンです。
今日、ホームセンターのオフィスサプライの棚で安かったので買ってきました。
使ったことある方はわかると思いますが、スライムです。
感触が、あの、ファミレスのおもちゃコーナーで売っているスライムそっくりです。
このお掃除用スライム、使用方法がなかなか面白いです。
キーボードにギューッと押しつけて、剥がす。
それだけなのですが、エアダスターのようにホコリを撒き散らさないし、手の脂によるベタベタ感もキレイさっぱり取ってくれるので、なかなかお手軽で優秀です。
私の使っているキーボードはストロークが深いので、さすがにキーの下に潜り込んでいるホコリは無理ですが、キーとキーの間は確実にキレイにしてくれます。
ノートパソコンのキーボードなら、けっこう奥までキレイにできるかも。
使っているうちにだんだんと黒ずんでくるようで、パッケージ(兼保存用パック)には色のサンプルが印刷されています。
パソコン周辺だけでなく、携帯電話などにも使えるので、持っておいて無駄はないかも。
私も携帯電話と電卓、デジカメなど色々と掃除してしまいました。
あと、あんまりやると本来の機能が失われてしまいそうですが、ただ単純にムニムニしてるだけでひんやりしてて気持ちいいです^^;
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文系とか理系とか その2
- 2009-04-27 (月)
- 雑記
先のエントリで批判した記事に其の二が付いていました。
そちらもどうも違和感だらけなので、反論してみることにします。
理系脳毒之助Diary:文系と理系には埋めがたい溝がある件について 其の二 – livedoor Blog(ブログ)
http://docnosuke.livedoor.biz/archives/51211811.html
文系の人の話をつきつめていくと、最終的にはなんらかの権威を信じることでしか、その論理の正当性を主張出来ていないことがほとんどです。
文系のほとんどの学問で、なんらかの権威を信じることでしか論理の正当性を主張できないのは、解が無いからです。
というか、文系の場合はもうどこまで行っても「仮説」でしかないわけで、それが正しいのかということを証明することが出来ない(というかスタンスが違う)んです。
だからこそ、研究者として有名な誰かの仮説に立って、新たな仮説を積み上げていくのです。
この人の仮説ならこうだ、でもあの人の仮説だとこうなる、と。
これが理系だと、「現象」はもうそこにあって、正解が存在している。
だから権威に頼らずとも、正当性が証明できるのです。
正解に至る論理的な正しさを追求する理系と違って、正解を持たない文系は正しさを追求するスタンスは取っていない。
これは非常に大きな違いで、もう学問の性質からして違うのだから、これを同列に語ること自体がまずおかしい。
しかし文系の場合、どこかしらで「信じること」しかできない壁につきあたります。ある思考のフレームワークが正しいか正しくないかというのは、人が何を信じるかによって変わってしまいます。
違う違う違う!!
文系の学問は「正しさ」を追求する学問じゃないんだ!!
「正しさとは何か」を追求する学問なんだ!!
ある現象をみて、理系はその現象を説明しようとする。でもその現象が、実在しないとしたら?幻想だったら?はたまたキアヌ・リーヴスが主演した映画のように、何者かによって創られたものだとしたら?
何が正しいかなんてわからない。だから何が正しいのかを追求するのが文系の仕事なんですよ。
もっと言えば、何を信じるかによって変わってしまう「正しさ」を、その中にある本質にまで昇華する作業が文系には求められるんです。
その手法として有名なのがテーゼとアンチテーゼ(これが立場によって異なる正しさ)を止揚してジンテーゼを導き出す、ヘーゲルの弁証法です。
「それってどこまで普遍的なのよ?」という疑問がどうしてもわいてしまうからです。
これを見て、私は「普遍性ってなんなのよ?」という疑問がどうしてもわいてしまいます。
この世界に普遍的なものなんて一つも無い。
見ている色、感じる温度、動き、世界のすべては個の中にしか無い。すべては究極に特殊で個別具体的なんです。
ただそれを、共通認識(もっと言えば共通幻想)として扱うから、普遍的に見えるだけ。
私が見ている赤色と、あなたが見ている赤色は違う。
たかが色にすら、普遍性なんてものは存在しない。
そのなかで普遍性とか正しさとか存在とか、非常に曖昧で実際には存在しないものを追及していくのが哲学だったり、論理学だったりそういう文系的な学問なんです。
言語学をはじめとする他の文系的な学問も同じ。
解なんて無いところから出発するのが文系なんです。
文系において一つだけ確かなことは、「自分が存在している」ということだけです。
本来存在し得ない「普遍性」という権威を信仰するのは理系です。
普遍的な客観性でなく、最後には権威を拠り所に信仰へと向かってしまう文系に、理性のある社会を作り上げることができるのでしょうか。
いやそれは極論というか暴論というか…理性的な社会を創るために人間が用いてきた法学や心理学や社会学はすべて文系ですよね?
非常に曖昧である「存在」や「普遍性」といったものに立脚している理系こそ、本当の意味で理性的な社会を創ることなんて出来ないと思うのです。
私は、「科学」というものは、人類史上最高に普及に成功した宗教だと思っています。
なぜなら、本当の意味での懐疑をしないから。これはもう一種の原理主義です。
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文系とか理系とか
- 2009-04-27 (月)
- 雑記
そもそもその区別に意味があるのでしょうか。
発端はこの記事。
404 Blog Not Found:理系バカよりなのには訳がある – 書評 – 理系バカと文系バカ
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51205044.html
実際、心から文系が好きで、文系に進んだ人というのはどれくらいいるのだろう。実際のところ、ふたを開けてみれば何らかの理由で理系に挫折したからというものが多いのではなかろうか。
いやいやいや。
確かにそういう人も居ることは確かだろうけれど、それが大多数だとは思いません。
純粋に文学が好きで文学科に入る人間も居るし、外国語学部なんてのは逆に好きな奴しか進まない。
文系が、理系に挫折した人間の集まりだとするならば、なぜ東京外語大があんなに高い評価を受けるの?
中高で数学が苦手で、それよりも古文が面白くなって文学史をやりたい!と思うのは、数学に挫折したと表現するのが正しいのですか?
それならば、古文や歴史が苦手で、数学や物理に目覚めた生徒は、文系に挫折したから理系に進むということになります。
理系バカが挫折を知らないだけなんてのは暴論。もしかしたら古文や漢文に挫折したかも知れないじゃないですか。
個人レヴェルでは適性の問題ですよ。
ただ、教育システムはコストの関係で文理を分けているから、結局コストの問題になるわけで。
まぁ、その点以外はこの記事には特に言うことはないんですけれど。書評ですしね。
私もこの「理系バカと文系バカ」は読んでみようと思いました。
んで、それよりも気になったのは、上の小飼氏の記事にトラバしていたこの記事。
理系脳毒之助Diary:文系と理系には埋めがたい溝がある件について 其の一 – livedoor Blog(ブログ)
http://docnosuke.livedoor.biz/archives/51211699.html
しかし本当のところは、挫折する以前の問題です。ものごとの本質を深く知るということに興味を持たない多くのひとが、なまぬるくて心地の良い環境を求め、始めから文系を目指しているような気がします。
これこそ理系の思い上がりの極み。
物事の本質を深く知りたいと志す人間は、理系には歩みません。
紀元前の昔から、本質を追求する学問は「哲学」でした。そして哲学は、現在「文系」の学問です。
でも僕は、こういう文系学生の脳みそ自体の質が悪く腐っているとは思いません。単に「信じること」に忙しく、「問うこと」に価値を見出さない、思考停止型の人が多いだけなのです。
どう考えたって暴論。大暴論ですよ。
文系が「問うこと」に価値を見出さないなんてことはないし、むしろ逆。
科学というものさしでしか世界を見れない理系に、思考停止なんて言われたくない。
ただ、残念ながら「問うこと」をしない人間がいるのも事実。
そしてそれは比較的文系に多く存在する。(しかし文系の多くがそうだとは言えない)
理系の大多数を占める科学という学問は、「説明できることしか信じない」ことが共通前提です。
いいですか?
科学という学問は、「この世のすべての現象は説明できる」という大前提に立っています。
科学という学問は、それだけではよくわからない現象を、理論として分解して、可視化して、わかりやすいように説明する学問です。
解が無いということは許されない。
だから追求するんです。究極の解を導き出すまで問い続けるのは、現象を「可視化」して「信じるため」なんです。
なぜならば、この世には一人では知りえないほどの膨大な知識がある以上、問うことに終わりはないからです。問い続ける人は、どんどん先へと見えない所へ進んでいってしまうのです。その一方、思考停止した人は、問い続けた人が残したおこぼれを信じることしかできません。
問い続けた人が残したおこぼれを信じているのは理系の人間でしょう。
先人が発見した理論や公式、仮説に基づいて論理展開するのだから。
そして上の文にもすでに論理破綻が。
「知識」というのは、過去に問い続けた人たちの残したおこぼれです。
知識がすべてだと信じるのは、思考停止型の特徴です。
一方文系はどうか。
たとえば文学。解なんてものは最初から存在しません。
そのときに自分が信じているものを、表現するための、もしくは表現されたものを読み解くための学問です。
あえて言うならば、解は個人それぞれの内面にしか存在し得ない。
考古学や歴史学というのも、遺物や文献から、過去の世界がどうだったのかを常に問い続ける学問です。
その時代に生きたことがないのに、正解なんてわかるわけが無い。
そして文系最大にして至高の学問「哲学」はどうでしょう。
すべての学問は、最終的に哲学に帰結します。
すべての学問は、哲学から派生したものだからです。
たとえば物理学では「原子」の存在を信じることが前提です。そこにモノが存在すると「信じて」初めて成立する。
理系では原子の存在を疑うことはまず無い。
しかし哲学では、その「存在」とは何かという命題を扱う。
「存在」に疑いの目を向けるところから、哲学は始まる。
それを思考する人間が「存在」しているのだから、その命題には永遠に解など見つからない。
このように、解の無い命題を問い続けていく学問は、すべからく文系なのです。
理系の人間は、問うことが可能にする自分たちの境地に決して達することのない、文系の人間に対する優越感を持ち始めます。
これはソクラテスの時代に論破されたことですね。
いわゆる「無知の知」です。
問うてもわからないことがある、という諦めを持ったとき、初めて「それでも敢えて問うこと」に価値が生まれるのです。
何でも理性的に論理立てて説明できることが優れているとは到底思わない。
むしろその傲慢さこそ、人間の愚かさの証明ではないでしょうか。
だからこそ、ソフィストが賢者と言われていた時代に、無知であるソクラテスが誰よりも賢かったのです。
ここまで理系をこき下ろしてきてなんですが、私はだから文系の方が優れていると言いたいわけではない。
文系、理系とカテゴライズするから優劣の意識や差別が生まれるのであって(人間というのはカテゴライズされると競争したくなる生物のようです)、カテゴライズすることそのものがまず間違っている。
物理が得意な人は物理のメガネで世界を見ればいいでしょう。
そして言語学が好きな人は言語学のメガネで世界を見ればいい。
それだけのことです。
ここから蛇足。
そんな理系の上から目線を敏感に察する文系は、理系に対して「専門バカ」というかわいそうなほどイタいレッテルを張り、多数派という数の力を使い、本質を知らないという点では劣る自分たちの砦を防衛してきたのです。
本質を知らないのは文系も理系も同じ。
生物学は「生命」の定義すら出来ていないし、最新の量子物理学をもってしても「時間」を定義できていない。
物事の本質なんてものは、最初から誰にもわからないんです。
最初から「問うこと」をしない人間は論外ですが、その「誰にもわからないこと」を知ったかぶりしている限り、「理系バカ」は本物のバカなんです。
そしてその本物のバカを論破しようと試みているあたり、私も本物のバカですね。
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はじめてのペンクリニック@紀伊國屋書店吉祥寺店
- 2009-02-28 (土)
- 雑記
古くて書けなくなった万年筆や、調子の悪い万年筆を調整してもらえるイベント「ペンクリニック」。
いつか行きたいなーと思っていたのですが、2月の27,28日に吉祥寺で開催されるというので、行ってきました。
ペンドクターは川口氏。
今回持参したのはこの2本。
パーカー ソネット Mニブとウォーターマン ハーモニー Fニブです。
どちらも、書き出しで筆圧をかけないとインクが出てこないという症状。
筆圧をかけなくてもペンの自重のみでインクが出てくるのが、万年筆の特長なわけで。
それができないのは”出来の悪い子(ペン)”なのです。
いざ会場に向かい、川口先生にお渡しすると、耐水ペーパー?ラッピングフィルム?でシャカシャカやって、切り割りにギャップゲージのようなモノを何度か通して調整完了。
1本あたり、ものの数分で作業されてました。
両方とも、毛細管現象が十分に機能していなかったらしいです。
調整の終わったペンたちは、自重だけでインクが出てくるようになりました。
あんな簡単な作業で、完璧に調整してしまうのはすごい。
まさに職人技です。
ただ一つ気になったのは、調整後、紙との摩擦音が出るようになりました。
帰宅してからルーペでニブポイントを見てみると、うっすらとヤスリの跡が。。。
筆記時に抵抗があるほどではないのですが、なんとなく気になる。
特に、先日買ったLAMYが本当になめらかにかけるので、余計気になるんでしょう。
後日ラッピングフィルムを買ってきて、磨いてみようと思います。
あと、ペンクリのついでに新しいインクを買ってきました。
ペリカンのロイヤルブルーです。
多くの万年筆取扱店で、試し書き用のインクとして使われているインクです。
どれもこれもブルーブラックじゃ味気ないので、パーカーに入れてみました。
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